投稿日:2023.11.01
2023年11月号
『さらば昴よ』
朝晩はずいぶん秋めいてきました。いかがお過ごしでしょうか? ところで。
歌手の谷村新司(74歳)さんが光の世界に帰られましたね。
谷村さんといえば、プレアデス星団とチャネリングをして、『昴』という歌を創ったのは有名です。谷村さんが、プレアデス星団とのファーストコンタクトは、引っ越しの最中に起こったそうです。
突然「さらば昴よ」という言葉が降りてきて「ん? 『さらば昴よ』って何?」と歌詞の意味も分からないまま、手が自然に動いて、歌詞を書き留めたそうです。メロディと歌詞が同時に、極めて鮮明なイメージで、一挙に降りてきた経験は、長いミュージシャン人生の中で、後にも先にも『昴』だけだったそうです。
実際、私もよく知っている楽曲ではありましたが、歌詞がなんとも理解し難い内容で何を伝えたいのかわかりませんでした。今回歌詞の意味がわかって、まさにこの時代が大きく変わろうとしている転換期に、改めてスポットが当たったことは大きな意味があるように思います。
よく意味がわからない歌詞ですが日本国民の多くの人が知る楽曲。そしてその本質を理解する時期に来ているという事実。物質文明から脱却し新たな時代へと変わっていかなければと切に感じます。以下谷村さんの著書から抜粋します。
「谷村新司の不思議すぎる話」より 『もしも昴が「財の星」だとしたら、現代風に言うならそれはまさしく物質文明のシンボル。
その「昴」に「さらば」と告げるのは、物質文明にサヨナラを告げようという意味に他ならないのです。
物質的な豊かさを追求しようとするとキリがありません。際限のない追求に明け暮れているうちに、やがて物欲に支配されるようになり、目に見えるお金やモノのみに執着するようになります。そんな時代にきっぱりとサヨナラを告げよう。今後は目に見えないモノを見て、お金やモノといった物質に囚われることなく、精神的な豊かさを追い求める新しい時代を作っていこう!それこそが「さらば昴よ」というフレーズに込められた本当の意味ではないのか。私はそう気づかされたのです。
同時にそのとき『昴』の冒頭にある「目を閉じて 何も見えず」というフレーズの真意もわかってきました。
普通に考えると、目を閉じたら、何も見えないのは当たり前です。でも、その感覚がすでに物質文明に毒されている証拠。目に見えないモノをきちんと見ようとする姿勢があるならば、目を閉じてから、見えてくる景色があります。 それは「故郷の景色」だったり、「両親や兄弟の顔」だったりしますが、それがその人の原風景なのです。その景色にこそ、目に見えるモノだけに囚われない、新しい生き方のヒントが隠れています。それを「目を閉じて 何も見えず」という歌詞は暗示していたのです。
インドに行ってみて、もう一つ大きな収穫がありました。何を意味するかが長年わからなかった「我は行く 蒼白き頬のままで」という歌詞の意味がすっと腑に落ちたのです。ハリドワールとリシュケシュでも、インドでは顔を青白く塗った人たちを大勢見かけました。
不思議に思って現地の人に聞いてみると、それはシヴァへの信仰を表しているということでした。シヴァとは、ヒンズー教では「破壊の神」とされています。創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌと並ぶ、ヒンズー教の最高神です。「破壊の神」と聞くと何だか恐ろしくなりますが、シヴァは破壊のための破壊を行う乱暴な神ではありません。 世界が終わろうとするとき、いまの古い世界の破壊して次の新しい世界の創造に備えるのが、シヴァの役割。つまりシヴァは「再生のための、破壊の神」なのです。
「我は行く 蒼白き頬のままで」というのは、「目に見えないモノを大切にする」という新しい価値観に基づいた世界を作り上げるために、「目に見えるモノしか信じない」という古い価値観に基づいた世界を、シヴァの精神に則って一度壊してみようという宣言だったのです。
1番の歌詞の中頃には、次のようなフレーズが出てきます。「ああ 砕け散る宿命の星たちよ せめて密やかに この身を照らせよ」それに呼応するように、2番には次のような歌詞があります。「ああ さんざめく名も無き星たちよ せめて鮮やかに その身を終われよ」このフレーズでいう「星」はひとのこと。 「砕け散る」というのは、新しい価値観を創造するための破壊を指しています。そして「せめて鮮やかにその身を終われよ」と告げているのです。
我は行く、さらば昴よー♫